指を絡めた後に



 荒い息が、コートに響く。どちらがどれだけポイントを取っているか、もう忘れてしまった。
 この男とのテニスなら勝敗にはこだわりたいけれど、それ以上にいつまでも続けていたい。勝敗か、時間か。どちらが大切かなんて、決められない。
 汗がしたたり落ちる。それがたまらなく美しく見えて、心臓がドクンと音を立てた。
 高揚する気分が、おかしなものまで連れてくる。その感情の存在には気づいていたけれど、言いたくない。音にしてしまったら、もう絶対に止められないのが分かっている。
 いつまでも続けていたい。そう感じているからこそ、この一人きりの勝負に負けるわけにはいかなかった。
 汗で、握ったラケットが滑る。ボールはフレームに当たって高く弧を描き、狙い澄ましたスマッシュで撃ち抜かれてしまった。
「いったん切り上げるか? もうこんな時間じゃねーの」
「……そうだな」
 油断していた、とラケットを握り直すけれど、ネットの向こうの相手――跡部景吾はラケットを下ろしてしまう。仕方なくネットへと歩み寄って、右手を差し出した。真ん中で重なる手は、汗ばんでいる。それが不快でないのは、テニスに打ち込んだ証明だからだろう。跡部の方はどう思っているか知らないが。
「……お前の手って、わりとでかいな」
「そうだろうか? 普通だと思うが」
 手を持ち上げられて、手のひらを上向かされる。そんなことはないと思うが、そういえば誰かと比べてみたことはなかったかもしれない。
「人差し指が俺より少し長い」
 俺の右手と跡部の左手が向かい合わせで重なる。ぴったりと合わさって、じんわりと汗が混ざった。息を呑んだ音は、聞こえていないといいんだが。
 そんな俺をよそに、跡部は指先を順番に合わせてくる。親指、人差し指、小指、中指、薬指。丁寧に触れられて、胸がざわついた。
「ほら」
「人差し指が長いだけで、俺の手が大きいとは判断できないだろう。それを言うなら、お前は薬指の方が長いんだな」
「あ……本当だ」
 曲がっていた関節がぴんと伸びて、指先が少しだけずれる。指の長さは人によって違うと聞いたが、こんなふうに見る機会はなかった。
 この手がラケットを握っているのかと思うと、なんとも言えない気分になる。敬いたい気持ちと、純粋な興味と、純粋でない欲望が自分の中でせめぎ合う。
 このまま握り締めて引き寄せてしまおうか。
 ……できるわけがない。
 この手はラケットを握るためにあるのであって、俺が指を絡めるためにあるわけではないんだ。
 不埒な欲望に、跡部景吾を巻き込むわけにはいかない。この気持ちは抑えこまなければならない。
 人差し指が、ピクリと動く。我慢しようと思えば思うほど緊張して力がこもってしまった。
 そうしたら、同じように居跡部の薬指が僅かに揺らぐ。不思議に思って跡部を見やれば、なぜか困ったように片眉を上げていた。
「跡部?」
「…………なあ手塚、嫌なら拒んでくれていいんだがよ。この指……絡めてみてもいいか」
 何を言われたのか分からない。俺の気持ちが、そのまま音になってしまったのかと思った。
 都合の良いように解釈してもいいのだろうか。いや、跡部は単に指を絡めることに興味があるというだけなのかもしれない。……どんな興味だ。
「構わないが……一つ頼みがある」
「な、んだよ」
「――俺も指を絡めてみてもいいだろうか」
 思い切って音にしてみれば、跡部が目を見開く。ああ、綺麗な青だ。さっとわずかに染まった頬は、やはり期待していいものか。
「……ああ、いいぜ」
 許諾されて、ドキンドキンと胸が胸が鳴る。
 そうして俺たちは、互いに見つめ合ったまま指を絡め合った。ゆっくりと、ゆっくりと。
 そんなことで何か分かるのか。
 こんなことで何か変わるのか。
 指の付け根まできゅっと絡ませ合い、ひとつ瞬く。
 たぶんそれが、二度目の交錯を認識した瞬間だったんだ。
 一度目は、あの夏の暑い日。
 長いタイブレークを交わした試合の中で、テニスに対するお互いの思いを知った。
 そして、今日。
 俺たちは言葉もなく、唇を重ね合わせた。


 



2022/10/08