唇が奏でる音は

唇がようやく離れて、跡部は吐息と一緒にふっと笑った。
「……なんだ?」
「なんだじゃねーよ。長ぇ」
 すぐ目の前にある恋人の鼻先に歯を立てて、ぺろりと舐める。そうした後に額へと口づけて、髪を撫でた。
「手塚、キスすんの好きだよな」
 手塚の膝の上で横向きに抱かれたまま、こつりと額を合わせる。
 先ほどのキスは、時間にしてどれほどだっただろうか。ずっと重ね合わせたままというわけではなかったが、離れたと思うが早いかすぐさま触れてくる唇に、抗議なんてできやしない。
「キスが好き……ああ、まあ……嫌いではない。お前が傍にいるので、つい触れたくなるというだけなんだが」
「なっ……」
 二の句が継げない。
 じわじわと頬が熱くなってくるのを自覚して、跡部は手のひらで顔を覆った。
 どうしてこの男は、不意打ちを食らわせてくるのだろう。しかも、その一撃が大きい。
 つい触れたくなるなんて、あふれんばかりの愛情を、何でもないように言ってのける。ものすごいことを言っている自覚はあるのかどうか。
 いや、きっとないに違いない。
 あったら、こんなに涼しい顔をしているわけが――そう思いながら、指の隙間から手塚の顔を盗み見た頃、ひどい思い違いをしていることに気がついた。
「跡部、手をどけろ」
「な、んで」
「キスができない」
 顔を覆っていた手を取られ、そのまま指を絡められる。頬の熱はさらに上がったけれど、空いたもう片方の手で覆おうとは思わない。触れてくる唇の方がもっと熱いと感じたせいだ。
「ん……」
 手塚が涼しい顔をしているなんて、そんなことはなかった。
 もっと触れたくて仕方ないという、熱の籠もった瞳でじっと見られていたのに、気づかなかったなんて。
 心臓の音がうるさい。
 もしここで、このまま、肌に触れていいと言ったら。
 肌に、触れたいと言ったら、どうなるのだろうか。
 心臓の音が、うるさい。
 絡められた指が震える。
 絡められた舌が吸われる。
 腰が揺れたのは気づかれただろうか。
 吐息がもっと甘ったるくなったのは、気のせいだろうか。
「て、づか……」
 触れていた唇が離れていく。そこが濡れているのが見えて、脳が沸騰しそうに熱い。心臓がさらに速く鼓動し、胸が上下しているのが目に見えさえした。突き破って出てくるのではないかと思うほどだ。
 もう、耐えていられない。
「跡部、すまない。今この距離にいるのは、まずい」
 絡めた指を外そうとする手塚を、離れる前に絡め返して引き留める。手塚の視線が、繋がれた手に向いた。
「跡部」
「ま、……ずく、ねえだろ、ばか。俺だってな、お前に、触れ……た、いと、思ってんだ」
 ぎゅっと強く指を絡めた手に、手塚からも力を込められる。その手に向いていた視線が戻ってきて、至近距離で重なった。
「……意味を理解して言っているのか、跡部。止めてやれないが」
「うるせえ、さっさと触れ、心臓、保たねえ」
「触るにはこの手を放さないといけないんだが……嫌だな、それは」
 腰に回された腕にも、力がこもる。その腕を外す選択肢はないのかと言ってやりたいが、強く抱かれるのが嬉しくて、唇は動かない。
「手塚、好きだ……」
 そう呟くためにしか、動かなかった。
「ああ、俺もお前のことが好きだ、跡部」
 目を閉じる。手の甲に痕がつきそうなほど握りしめる。
 もう慣れたはずのキスに、まるで初めての時のようにドキドキしたことは、朝まで覚えていたら言ってやろうと思う。




 



2022/08/23