GOOD NIGHT :Tezuka

「大丈夫か?」
 そう声をかけると、「あぁ……」と気怠げな声が返ってくる。無茶をさせてしまった手前なにも言えなくて、せめてバスタブの湯加減が彼にとって心地の良いものであるようにと祈るのみだ。
 広いバスタブはさすがセミスイートといったところだろうか。大きな窓から見える夜景も申し分ない。
 ちゃぷりと音を立てて湯を揺らし、縁に突っ伏す跡部の肌には、いくつもの痕跡が散らばっていた。目に毒だなと視線を背け、備え付けのタオルを持ってくる。
 先ほどまであのしなやかな肉体をいいようにしていたのかと思うと、いまだに夢心地だ。
 ずっと片想いだと思っていた。彼に恋をしてからほぼ十年。
 好きな相手がいると知って、いい加減に自分の気持ちに決着をつけようと、優勝したら想いを告げて踏ん切りをつけるはずだったのに。どうやら彼の方も、同じ想いを抱えていたようで。
「跡部、そのままでは腕が痛いだろう。タオルを敷くといい」
 同じ想いを知って抑えきれなかった衝動が、彼を――跡部景吾を何度も貫かせた。
 立てないと弱々しく呟くのを申し訳なく思ってはいるのだ。疲れ切った体を癒やそうとする跡部に、そっとふわふわのタオルを差し出す。
「あー、そんなのいいから、お前も来いよ、手塚ぁ」
「よくない。腕を痛めたらどうするんだ」
「テメェが言うな」
 自分たちはプロのテニスプレイヤーだ。人一倍、体には気を遣わなければいけないというのに。中学生だった頃、確かに無茶な試合をした自分が言えることではないのだが。
 跡部は縁から体を起こし、諫めるような、責めるような眼差しを向けてくる。
 ……テニス云々を抜いても、あれだけ激しい行為をしてしまったのは、謝らなければいけないだろうか。
「鈍いヤツだなテメーはよ。せっかく恋人になったんだから、少しくらい甘ったるいことしてぇのに」
「……甘ったるい、こと?」
「いいから脱げ。それとも脱がせてほしいのか?」
 ローブに手を伸ばされて、とっさに避ける。酔っているわけではないようだが、彼のしたいことが分からない。
 しかしここは従っておいた方が良さそうだ。何も機嫌を損ねたいわけではないのだから。
 脱いだローブをたたんで、バスタオルの上に置く。何が楽しいのか、バスタブの方から跡部がマジマジと眺めてきていた。
「いい体してんな、さすがに」
「今さら何を言っているんだ」
「散々見たくせに、ってか? じっくり眺める余裕があったと思うのかよ」
 手招かれて、湯船に体を沈める。
「お前の熱を追いかけるので、精一杯だったぜ」
 言いながら、跡部は足の間に腰を下ろしてくる。全裸でこの体勢は良くないのではないだろうか。
 跡部の背中が胸にもたれてくる。ふうーと心地よさそうな呼吸が聞こえて、なるほどこうしたかったのかとようやく気がついた。
 怒られないだろうかと思いつつ腹に腕を回してゆったりと抱けば、満足げな顔が振り向いてくる。
「放すんじゃねーぞ、この手」
「無論だ。何しろほぼ十年越しで捕まえたのだからな」
「……そんなに根に持ってやがんのか」
「別に」
「別にって顔じゃねーな、ばーか」
 跡部が両腕を回して抱きついてくる。唇にキスまでくれる。治まってはいるが落ち着いたわけではない劣情を煽っているのだろうか。それなら覚悟してもらいたいが、ゆっくりキスを楽しむのも悪くはない。
 叶わないと思っていた分だけ、触れたい。もっとキスをしたい。
「愛してるぜ手塚。言えなかった十年分、お前に全部やる」
「それはこちらの台詞だ、跡部。十年という年月を甘く見るなよ」
 おかしそうに笑う跡部に口づける。足らなかった言葉も、触れられなかった指先も、すべて跡部にやりたい。あまり上手く伝えられないかもしれないが、この想いは本当だ。
「愛している、跡部。今度また、一緒にテニスをしよう」
「――ああ、最高じゃねーの!」
 テニスというスポーツで知り合って、惚れた相手と今もまだその世界にいられる。
 こんなに幸福なことはないと、跡部の体を強く強く抱きしめた。
 
 



2022/05/09