小さな幸せ
つんつんと手塚の袖を引っ張った。
「なあ手塚。これはどっちだ?」
引っ張られた手塚は振り向いて跡部の手元を見ながら、ゴミ箱を指した。
「それはプラスチックの方だ、跡部」
「分かった、サンキュ」
そう言うと跡部はゴミ箱の方へと歩いていく。些細なことにさえ礼を言うというのは、相当育ちが良いというか、癖になっているほど周りの教えが良かったせいだのだろう。
「だいぶ覚えてきたけど、まだ分かんねえのあるな……」
ゴミを捨てて、持っていたペットボトルからラベルを剥がしてプラスチック用のゴミ箱へと放る。ボトル自体は中を軽くすすいで乾かしておくというのは覚えたようだ。
「以前に比べたら、本当によく分別できていると思うが。お前、可燃ゴミも不燃ゴミも一緒にしていただろう」
「ゴミにそんなに分別があるとは思ってなかったんだよ、怒るな」
「別に怒ってない。お前に教えることがあるのは、少し気分がいいしな」
なんか引っかかるなと言いながら口を尖らせる跡部に、気のせいだろうと言ってやる。
跡部と一緒に暮らし始めて、本当に大変だった。まず生活習慣が違う。金銭感覚が違う。別々の家庭で育ってきたのだからそれは仕方のないことで、ゆっくりとすりあわせをしながら価値観を合わせていく。それはなんらおかしなことではない。
跡部は案外素直で、今まで触れなかった暮らしというものに新鮮さを感じて、楽しんでいるようでもあった。
「これは……可燃ゴミだな?」
「ああ、汚れが酷いものは可燃でいい」
「本当に大変なんだな、分別って」
「地域によっては十種類以上もの分別項目があるそうだからな。ここはまだ楽な方ではないだろうか」
ゴミ捨てを終えて、跡部がソファに腰をかける。手塚もその隣に座り、役所のホームページで提示されている分別表を改めて確認した。
「お前と暮らすまで、こんなこと知らなかった。うちはメイドがやってくれてたから」
「俺も、家族の助けがあったからな。お前よりは知っているというだけだ」
「あ、でもマークの見分け方は覚えたぜ。ペットボトルでいいヤツと、プラスチックのヤツ。調味料とかの容器は一見でどっちか分かんねえしな」
そう得意げに返してくる跡部が、可愛くて仕方がない。だんだんと二人での暮らしに慣れてきている財閥の御曹司というものを間近で見られるのは、手塚だけだろう。
「こんなに大変なことを、うちのメイドたちがやってくれてたんだと思うと、ありがたいのと同時に申し訳なくもなるな。俺は本当に気にしてなかったから」
「そう思う気持ちを、言ってやったらいいのではないか?」
わずかにしょんぼりとして眉を下げる跡部に、そういう表情も悪くないと思いつつも助言をする。跡部だって悪意があってそうしていたわけではないのだから、きっと家の人たちもわかってくれるはずだと。
「気持ち……そうか、そうだな。ありがとよ手塚!」
パッと顔が明るくなる。コロコロと表情が変わる。まったく忙しない男だと手塚は思うが、跡部のそんなところも好きなのだからどうしようもない。
「じゃあ、まずは――お前に」
「は?」
顎を取られ、振り向かされる。ちゅっと可愛らしい唇が触れてきて、手塚は眼を瞬いた。
「感謝してるぜ。俺に知らない世界を教えてくれて」
ゴミの分別ごときで大袈裟ではないだろうかと思うが、跡部の顔は幸せそうだ。だが知らない世界というのなら手塚も跡部に感謝をしなければいけないだろう。
こんなに誰かを愛しいと思う気持ちは、 跡部と出逢わなければ知らなかった。
手塚は跡部の背中に腕を回して抱き寄せ、満足げな唇にキスをする。
「では俺もお前に。これだけでは足りない気もするが」
「ん? ふふっ……なら、足りそうなトコいくかよ?」
顎で寝室の方を指され、手塚は肯定の意味を含めて再度唇にキスをした。
後日、跡部は実家のメイドやコックの皆にそれぞれの名が刺繍されたエプロン、従僕や執事には万年筆、運転手には手袋といった、役割に合ったものを贈ったらしい。
手塚には、一緒に宝飾店に行こうと持ちかけたようだが、果たして何を感謝の印とするのか。想像には易いだろうが、それは言わぬが花と言うものだ。
2023/11/23