ともに在るひとへ
物足りないと思いつつ、触れるだけで、離れた。わずかに下にずれる視線の先には、満足そうに笑う跡部景吾の顔があった。
「機嫌がいいな、跡部」
「そりゃあな」
U-17W杯決勝戦、跡部は見事に勝利を収めた。手塚はいてもたってもいられず、チームの皆に声をかけてから日本チームのベンチ傍までやってきていた。試合を終えた跡部がそれに気がつき、勝者を称えるメンバーをやんわりと押しやって、こっそり抜け出してきてくれたのだ。
もっとも、事情を知る者たちにはバレていたようだが。そこはそれで、「シィ」と指先を唇に当てて口止めをしていたようだが、きっと後でからかわれるのだろうなと手塚は思う。
「また強くなったな」
「そうだろ。俺様は常に進化し続けてんだよ」
「恐らくプロのスカウトが来るだろう。受けるのか?」
気が早ぇよと跡部が笑う。しかしそうおかしな話でもないように思った。あんなにすさまじい試合をしたのだ、会場に来ているプロチームのコーチたちの目にも止まるだろう。技術はもちろんのこと、観客を沸かせるパファーマンスとオーラだって、申し分ないはず。
オーラはともかく、パフォーマンスにおいてはこの男に勝てないだろうと思う。観客を沸かせるというのは、プロの試合において時折必要とされるものだ。熱狂がどれだけ周りを巻き込み、かき回すのか、手塚はよく知っている。特に、財閥の御曹司として事業に携わっている跡部ならその重要性も理解できるはずだ。
「でもまあ、条件とタイミングだな。すぐに追いかけるって言っただろ」
「ああ、楽しみだ」
数日前、ネット越しとはいえ目の前で膝をついていた男とはても思えない。自信に満ち満ちて、さらに王者の貫禄を身につけたのではないだろうか。
誇らしいとともに、末恐ろしい。
この男はいったいどれだけ自分の人生に食い込んでくるのだろう。
同じほどの熱量で、同じほどの技量で、この世界で共に在る男。プレッシャーを何度も何度も乗り越えて、今ここに在る。
その男の青い瞳に、自分だけが映っているという事実の、なんと滾ることか。
体が疼く。胸が逸る。本当なら自分が彼と対峙したかったとさえ思うが、先程の跡部景吾はロミフェルにしか引き出せなかっただろう。
だが、そうして強くなった王とまたいずれ戦えるだろう未来が楽しみでしょうがない。
「なんだ手塚ァ。お前こそご機嫌じゃねーの」
顔には出ていないと思ったのだが、跡部には分かってしまうようだ。共に過ごした時間は実のところそれほど長くないのに、きっと魂が似ているせいなのだろう。
「……久しぶりだしな」
「アーン? なに言ってんだ、ヘリでのランデブー忘れたかよ?」
「そうじゃない。キスをするのがだ」
確かに焼肉バトルの際にヘリで一緒に過ごしたが、二人きりというわけではなかったし、トラブルもあってゆっくりとした逢瀬ではなかった。とはいえこれがゆっくりとした逢瀬かと言うとそうでもないが、唇に触れられたのは久しぶりだった。
跡部はぱちぱちと目を瞬いて、ふっと口の端を上げる。
「こんなところで隠れて俺様とキスなんて、イケナイ部長だな?」
「……元、だろう。お互いに」
跡部の指先が、顎をついと撫でる。分かりやすい煽り方だと思いつつ、それには乗ってやることにした。
顔を寄せて、先程よりもしっかりと唇に触れる。覚えてしまっていた感触を久しぶりに味わって、下唇を挟むように食んだ。背中に回された腕に強く抱き寄せられて、唇がさらに押しつけられる。
「ん……、……手塚」
コートの中ではあんなにも格好良いのに、この腕の中ではとてつもなく可愛らしくなる。どうしてくれようこの男、と半ば八つ当たりのようにも背を抱き、汗で濡れたユニフォームに皺を作ってやった。
「っふ……」
あとべ、と名を呼ぶように唇を動かせば、やんわりと開く。舌先を滑り込ませて押し込んで、捕らえた。くすぐったそうな呼吸が鼻から抜けていくのを聞いて、口の中で舌を絡め合う。吸い上げて、唾液を飲み込んで、髪を梳く。背を撫で、腰を抱き寄せては舌を軽く噛み合う。
キスの仕方は変わっていないなと、お互いが思っていることだろう。そんなに長い期間離ればなれになっていたわけでもなし、変わる理由もないのだが。
キスの温度も、キスの意味も、言葉にする必要もないくらい今までと同じ。違うのは、着ているユニフォームくらいだろうか。
頬を撫でて、唇を離し、また覆う。
何度そうしただろう。さすがにこれ以上はまずいと、コツリと額をぶつけ合わせる。
「そろそろ、戻るぜ」
「ああ。皆によろしく」
「アイツらには逢っていかねえのかよ。薄情な男だな」
「日本が優勝したら、また祝いを言いにこよう。今はただ、お前に」
激闘を繰り広げた跡部の右手首に、キスを贈る。「どこで覚えた」などと照れくさそうな声が向かってきたが、教えたのはお前だと思うが――などと野暮なことは言わず、観客席へ戻ろうと手塚は跡部に背を向けた。
ポケットで震えたスマートフォンに、「帰国前の自由時間、よこせ」とメッセージが入ってくる。顔だけで振り向けば、そこには〝キング〟としてベンチへと向かっていく恋人の背中。手塚は頷き、「分かった」と返信した。
果たしてテニスになるかそれとも恋人同士の夜の逢瀬になるのか。
どちらでも楽しみだとこっそり口の端を上げながら、手塚もチームメイトの元へと向かった。
2023/09/04