少し未来の話だけれど
いつものように相づちを打ちながら隣を歩く。
別に聞いていないわけではないし、興味がないわけでもない。ただ単に、手塚が跡部の声を聞いていたいというだけだ。適当な相づちに不機嫌になるわけでもなく楽しそうにいろいろなことを話す跡部の声を聞くのが好きだ。そこに自分の声は必要ないと、手塚は思っていた。
「今日ウチ来るだろ?」
「……ああ」
「フ、こういう時だけきっちり返事しやがる。すけべ」
「脈絡がないな。なぜそうなる」
「期待、してんだろ?」
んー? と綺麗な指先で顎を持ち上げられる。手塚は視線を逸らすことなく、むしろまっすぐに見つめて瞳で肯定してみせた。恋人から家に来るだろと言われて、期待をしないわけがないだろうと。
「お前が嫌ならしないが」
「ばぁか、だったら誘わねーよ」
そう言って笑う跡部を、今日はどうやって隅々まで堪能してやろうかと思っていた矢先、すっと静かな音で車が停まった。詳しくない手塚でさえ、高級車と分かる物がだ。
「……あれ」
跡部がそれを振り向き、目を瞬く。車の窓が開き、中から黒髪の美女が顔を出した。
「景吾」
跡部景吾を呼び捨てにする者は少ない。親しげな様子から、知り合いかと認識しかけて、手塚は目を瞠る。跡部に似た顔立ちの美女……いや、この場合は美女に似た顔立ちの跡部、になるのだろうかと思考を巡らせた。
「母さん」
跡部は美女に向かってそう声をかけ、手塚はああやはりそうだったかとわずかに体を強張らせた。
「どうしたんですか。イギリスこっちにいらっしゃるとは思いませんでした」
「仕事で、少しね。あなたも今こちらにいると聞いたのよ」
「電話してくれれば俺が行きましたが」
「いいのよ。おかげで楽しそうなあなたが見られた」
美女――跡部の母親の視線が、チラリと向かってきたのに気づき、手塚は軽く会釈をした。美女は優雅な仕種で車を降り、跡部の横に並んだ。
そうやって隣で並ぶ姿を見ると、容姿以上に圧倒的なオーラがそっくりだなと感じる。
「手塚、俺の母だ」
「景吾の母の瑛子です。初めまして。――手塚国光くんね」
名乗る前に名を言い当てられて、手塚は驚く。え、と跡部が小さく声を上げたところを見るに、彼も想定外だったらしい。
「手塚です、初めまして」
「写真で見るよりずっといい男ね。景吾と仲良くしてくれて嬉しいわ。彩菜さんはお元気かしら」
写真? と首を傾げたかったが、それよりももっと気に掛かることがある。
「俺の母をご存じなんですか」
「ええ、知っていてよ。よく、ね。……ああ、ごめんなさい、今日は少し時間がないの。また今度ゆっくりお話ししたいわ」
車から、秘書らしき女性がそわそわと見つめてきているのに気がつき、瑛子は時計を確認する。息子と同様、母親も多忙そうだ。手塚ははいと頷き、息子を軽く抱きしめ挨拶をし、車に乗り込んでいく瑛子を見送った。
「相変わらず忙しそうだな。悪い手塚、突然で驚いただろう」
肩を竦めて跡部が振り向く。やはり顔立ちがよく似ているなと思うと、改めて跡部の容姿の整い具合を認識できた。
「いや、構わないが……写真というのはなんだ。お前、まさか」
「写真なんて見せた覚えはねえ。テメェ自分が世界に名をとどろかせるプレイヤーだってこと忘れてんじゃねえだろうな。さっきだって空港で囲まれただろ」
「あれは半分以上お前のファンだろう」
「半々くらいじゃねーの。いや、まあ……母さんがああ言うってことは、プレイヤーとしての手塚国光じゃねえんだろうが……どっからオフショ手に入れたんだか……。クソ、俺も欲しい」
普段であれば曖昧に相づちを返すところだが、手塚は手のひらを向けて跡部を制してみる。色々と不可解なことが多すぎだ。
「待て、どういうことなんだ」
「あの人は探るの得意だからな。何せ元スパイだ」
「……………………聞かなかったことにした方が良さそうだな」
突拍子もない発言だ。だがしかしこの男が跡部であることを考えると、真実だっておかしくないと思わせる。となると、もしや家族の情報さえ手にされてしまっているのだろうか。好意的な態度ではあったのが幸いだ。
「手塚、彩菜さんとウチの母、たぶん同い年だ。どっかで逢ったことあんのかもな。フフッ、ロマンじゃねーの」
「なるほど。後で母に聞いてみよう。しかし、綺麗な女性だな。お前に良く似ていた」
「ん? そりゃ俺様が綺麗だって言ってんのと同じだぜ?」
「否定はしないが」
「……そうかい、ありがとよ……」
跡部がふいと顔を背ける。五年も付き合っておいて、今さら何が恥ずかしいのだろうかと思うほど、跡部の顔が赤い。見ていて飽きないなと、手塚は目を瞬いた。
「前もって分かってりゃ、もっとちゃんと紹介したのに……」
「お前の行動が唐突なのはご家族譲りなんじゃないのか。俺も少し心の準備をする時間は欲しかった。緊張するものだな」
「緊張? って、なんでだよ。普通の人だぜ?」
先程元スパイだと言った女性を捕まえて「普通の人」はないのではないだろうか。やはり跡部景吾の普通は普通ではない。手塚は短くため息を吐いた。
「緊張するだろう。将来俺の義母になる人だしな」
「アーン? なんでテメェの、………………っ手塚ァ!! テメェは毎度毎度、脈絡がねえんだよ!!」
「お前に言われたくない」
頬の赤みをさらに増した跡部を放って歩き出すと、ややあって追いつき隣に並んでくる。シャツの裾を軽く掴んでくる恋人を見て、今夜はとびきり情熱的な時間を過ごすことになるのだろうなと手塚はひっそりと口の端を上げた。
思わぬ出逢いと再認識した愛しさに。
2023/07/04