エイプリルフール
「エイプリルフール?」
口にした言葉を、そのままオウム返しのように呟かれる。跡部は口の端を上げてフッと笑った。案の定というか何というか、やはり世間のイベント事には疎いのかと、不審そうに目を瞬いた手塚を眺める。
「そうだ。今日この日だけは一つ嘘をついても良いことになっている。そしてそれを見抜かれるかどうかまでがセットだ」
いったいどういう経緯で始まったものか、というのを説明した方がいいのだろうか。
いや、別にそんなことをしなくても理解はできるはず。
「というか、見抜かれてこそ、なんだろうな。もちろん、他人を傷つけたり、不快にさせる嘘であっちゃならねえが。ユーモアのある嘘ってヤツだ」
「難しいな」
手塚は腕を組んで眉間にしわを寄せる。この男、今までいったいどうやってエイプリルフールをくぐり抜けてきたのだろうと、心配にもなってくる。本当にテニス以外のことは考えていないというのだろうか。
分かる気もするし、もどかしくもある。
テニスがそうでないとは言えないが、もう少し青春というものを謳歌したらどうだろう。
「お前、嘘とかついたことないのかよ?」
「ないな。つく必要がない。だが跡部、これも嘘だと思われる可能性があるということなのか」
「いや、くそ真面目なお前がそういう嘘をつくとは思ってねえよ。これは、普段の信頼関係を改めて考えるいい機会でもあるのかもな」
いかにもつきそうな嘘だと思わせるか、そんな嘘をつくはずがないと思わせるか。どちらにしろ駆け引きは必要で、それを楽しむのもエイプリルフールの醍醐味だ。
「あ、言っとくが、お前とテニスがしたいって言ったのは本当だからな」
「分かっている。それこそ、お前がそんな嘘をつくはずもないだろう」
ベンチに腰をかけたまま、手塚が呆れたような息を吐く。跡部はその答えが嬉しくて、照れくさくて、項垂れて額を押さえた。
テニスがしたかったのは本当だが、ただ逢って顔を見たかったという思いもあったのは、さすがに言えやしない。
「春休みでよかった気がする。どうも俺は、そういうことに疎いようなのでな」
「ハハッ、確かにテメェは恰好の餌食だろうなあ。目に浮かぶようだぜ」
そうやって手塚を振り向くと、なぜかじっと見つめてこられてドキリと胸が鳴った。
「今日は、何を言っても嘘かもしれないと疑われる可能性があるということは、好きな相手に想いを告げてもそう思われるのだな」
「は?」
手塚がふいと顔を背ける。跡部は目を瞠った。
手塚には想いを告げたい相手がいるのだと、この時初めて知る。つま先から体が冷えていくような感覚を味わった。
なんだ。そうか。手塚も青春らしい青春を謳歌していたということか。読み切れなかったのは跡部の手落ちだ。
「……そうかもな。テメェの伝え方次第だろうが。つーかそういう相手いんなら俺とテニスなんかしてねえでそっちにアプローチかけろよ、バーカ。そいつだって、お前がそんな嘘つくとは思わねえだろ」
「そうだとありがたいが、一瞬でも嘘かもしれないとは思われたくない。今日言おうと思ったんだが、明日にした方が良さそうだ」
手塚はラケットをバッグにしまいながら、残念そうに呟く。この後逢う予定でもあったのだろうか。跡部は面白くない気分だが、それを告げるわけにはいかない。せっかくの手塚の〝春〟なのだ、ちゃんと背中を押してやろう。
「ああ、そうしとけ。成果は聞いてやるからよ」
「成果……? お前が何を言っているのか分からないが、では明日も逢えるだろうか」
「ん? ああ、逢う……アーン?」
手塚は立ち上がり、ベンチに座ったままの跡部を見下ろしてくる。まだ高い太陽に髪が透けて、美しく目に映えた。
「明日お前に告白するので、またここで逢いたい。今日は少し物足りない気がするが、楽しめたと思う。では」
そう言うだけ言って、踵を返す。
跡部は混乱した。クエスチョンマークが押し寄せて、引いて、唐突に認識した。
なにが〝明日告白する〟だ。それがもう明確なアプローチではないか。
跡部は勢いだけで立ち上がり、去りかけた手塚の背中に叫んだ。
「待……ちやがれ! 手塚ァ!!」
手塚が振り向く。きっと顔が赤くなっているだろうと思うが、そんなことは気にしていられなかった。
「言えよ、聞いてやるぜ! 今すぐだ!」
こんな態度では呆れられてしまうかもしれない。それでも明日までなんて待っていられない。目の前に幸福な結末が待っているというのに。
いや、結末ではない、これが新たな始まりだ。
「そうか。では言わせてもらおう。跡部、俺はお前のことが――」
正面で向き合って、視線を絡ませる。嘘は何もない。明日の逢瀬はデートという名で飾られるだろう。
どこからか、桜の匂いがした。
2023/04/01